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平成14年9月1日(日):しあわせの村球技場(神戸市北区)
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| みなさん、世界的なスポーツイベント“FIFAワールドカップサッカー大会”が日本と韓国の共催で開かれた記念すべきこの年に「もう一つのワールドカップ」が開催されていたことを知っていますか? 日本・韓国・ベトナム視覚障害者サッカー交流会は、アジアでの視覚障害者サッカーの普及・発展と友好親善、さらには視覚障害者への関心と理解の促進を目的として国内2箇所で行われました。 ここでは神戸大会の様子をご紹介します。 |
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| 視覚障害者サッカー(ブラインド・サッカー)の発祥は、約20年前のヨーロッパに遡ります。日本では昨年11月に初めての大会が開かれたばかりですが、2004年のアテネパラリンピックでは正式種目になることが期待されています。
まずはルールをご紹介しましょう! |
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| 日本代表選手は関西在住者中心。 写真中央(ナンバー13番)は大阪市でマッサージ院を経営する松本和義さん(40歳)。 20歳で両眼の視力を失った松本さんは、パラリンピック柔道競技でメダルを獲得したこともあるスポーツマン。 “24時間テレビ25” の取材で今大会のための合宿先を訪れた元Jリーガー永島さんとの対談の中で、「サッカーと一緒で、目が見えないというのが僕に与えられたルール。見えなくてもサッカーも柔道も仕事もできる。死ぬ時に目が見えない人生で良かったと思えるように生きたい」と語りました。 |
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| 歌手の“おーまきちまき”のお二人もかけつけた開会式は、緊張の中にも華やかで和やかなムードが漂っていました。 事務局を担当された柳さんのお話によると「自分も含めてこの大会の運営はすべてボランティアの皆さんの力」とのこと。 今日の日のために長い時間をかけて準備してきた皆さんにとっても感慨深い開会式だったに違いありません。 |
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| プレーは想像をはるかに越えるハードさで、ベンチサイドでカメラを構える私の所まで選手達の息づかいが聞こえてきました。 | |||||||||||||||||||
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| 左の写真は、日本代表チームが悲願の優勝を決めた瞬間! 各試合の結果は次のとおりです。 |
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| 互いの健闘を称え、友情の証としてユニフォームを交換する選手達。 日本・韓国・ベトナムの視覚障害者の皆さんの交流の確かな一歩が見るものすべての心の中に深く刻み込まれました。 |
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| 大会終了後の記念撮影では、青空をバックに選手の皆さんの笑顔がとても印象的でした。 | |||||||||||||||||||
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〔編集後記〕 私は長年ボランティアとして写真撮影をしていますが、スポーツはいつも勇気と感動を与えてくれます。 選手の皆さん、大会を支えたボランティアの皆さん本当にご苦労様でした。 サッカーに限らずスポーツを楽しむ障害者人口がもっともっと増えて、それをみんなが応援する社会が一日も早く実現することを心から願っています。 記者 スポーツボランティア「モッピークラブ」 角野 韶炳 |
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